マージナルな日々

まちづくりとか、田舎とか、婚活とか。

“初めての婚活パーティーに参加する前に。”

久しぶりに高揚している。

 

会場へ向かう電車の中で、HPの概要を眺めている。

 

https://www.haresapo.com/blank-11

 

男女6人ずつ、手相を見ながらの婚活パーティーである。

 

私にとって、初めて参加する婚活パーティー。

 

そもそもは、とある飲み会での『ザ・淀川』編集長からの紹介であった。

 

定員までラスト1人、という状況でその場にいた候補者3人でなすり付け合い(笑)、

 

最終的に私が権利を獲得することになった。

 

こんな機会でもないと自発的にはなかなか参加しないだろう、という打算と、

 

何が起こっても話のネタにはなるだろう、という開き直りと、

 

いつの日か婚活を主催する際の参考に、という一種の社会勉強を兼ねての判断である。

 

 

 

どんな方々が参加されるのだろうか。

 

会場で上手く振る舞えるだろうか。

 

いつもより、二段階くらいテンション上げなきゃ。

 

趣味とか聞かれたらなんて答えようか。

 

婚活市場において、自分の売りは何だろうか。

 

一時間半って、あっという間だろうな。

 

手相鑑定は、単純に楽しみだ。

 

いろんな思いが浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 

 

 

今現在の心境としては

 

先の想像がつかない緊張感が3、

 

身の丈にそぐわない期待感が3、

 

なるようにしかならないのだから背伸びせずあるがままにという諦観が4、くらいだろうか。

 

 

 

さて。どーなることやら。

 

“プロフィール”

1985.11.19 三重県志摩市大王町波切に生まれる。

2004.3 三重県立伊勢高等学校卒業。

2004.4 大阪人間科学大学人間科学部人間環境学科に入学。

2005. バミトントンサークルのキャプテンを務める。

2005.冬 大学の海外研修でイタリアへ。初めての海外旅行。

2006.春 師匠との出会い。 尼崎市三和市場、摂津市正雀などでまちづくりの楽しさを学ぶ。

2008.3 卒業旅行でギリシャへ。初めての一人旅。

2008.3 大阪人間科学大学人間科学部人間環境学科を卒業。

2008.4 大阪人間科学大学大学院人間科学研究科に入学。

2008.夏 大阪市淀川区三津屋商店街の交流スペース「みつや交流亭」に遊びに行き始める。

2010.3~現在 「みつや交流亭」がNPO法人化するとともに理事に就任する。

2010.3 大阪人間科学大学大学院人間科学研究科を修了。

2010.4 「地域おこし協力隊」として、高知県長岡郡本山町へ。

2013.3 「地域おこし協力隊」任期満了。以降も本山町に住むことにする。

2013.4~現在 「木の駅ひだか」の事務局長に。

2013.6~現在 「クラインガルテンもとやま」の管理人の1人に。

2015.4~現在 「デイサービス長老大学」の介護員に。

 

「仕事が無い」と言われる田舎・本山町で、小さな仕事を組み合わせて生きています。

 

目指せ、マージナルマン。

“目指せ、マージナルマン”

マージナルマン。


「多角的に物事を見れる人間になりたい」と思っていた学生時代。
「価値観の境界に立つことが多いなあ」と感じていた最近。
出会った概念が「マージナルマン」。

 

マージナルマンとは、何ぞや。

文化の異なる複数の集団に属し、そのいずれにも完全には所属することができず、それぞれの集団の境界にいる人。境界人。周辺人。  

(コトバンクより引用) 

 

元々は、発達心理学の世界で、「青年期」を表す言葉だそう。
子どもな一面もあるけれど、時々背伸びをして大人でもある。
そんな、不安定でどちらにも揺れ動く、いわゆる「思春期」を指して、

ルソーはこれを「第二の誕生」と呼び、ゲーテは「疾風怒濤の時代」、レヴィンは「境界人」(マージナル=マン)と呼んだ。 

 (wikipediaより引用)

 

ということのようです。


>完全には所属することができず
とか、
>不安定でどちらにも揺れ動く
といったように、「負の側面」を持つ言葉として使われているようですが、
いいじゃないですか、完全には所属しなくたって。
いいじゃないですか、不安定で揺れ動いたって。
いいじゃないですか、マージナルマン。

 

例えば、「都会」と「田舎」。
例えば、「若者」と「お年寄り」。
例えば、「生産者」と「消費者」。


異なる価値観の境界に立ち、どちらの影響も受け、どちらの考え方も受容する、マージナルマン。

そんな生き方をしたいと思っています。

“blogはじめました”

30歳になりました。
20代が終わり、否が応にも“節目”を意識します。

 

生まれて30年。

まちづくり」に首を突っ込んで10年。

本山町へ来て6年。


意味のある30代にするために。

実り豊かな人生を過ごすために。

 

旧blog「もとやまだより」から移行し、新しくblogを始めることにしました。
どうぞよろしくお願いいたします。

“プレイヤーとプランナーの両立は可能か?”

JUDI関西ブロックの都市環境デザインセミナーに参加した。

テーマは「プレイヤーとプランナーの両立は可能か?」

 

講師は地域環境計画研究所の綱本氏と若狭氏。

 

片寄ゼミの大・大・大先輩お2人と数年ぶりの再会である。

 

お2人は「株式会社 地域環境計画研究所」の共同代表。

 

片寄先生を師とし、

 

学生時代の関わりから「まち」にどっぷりハマり、

 

現在も「まち」で仕事をされているお2人は、

 

まさしく、「自分の目指す将来像」。

 

どんなお話をされるのか、興味津々であった。




彼らにとっての“プレイヤー”とは、「自分たちがやりたいこと」。

 

フリーマガジン「南部再生」の発行、

 

運河クルージング、

 

地元ラジオでの「8時だョ!神仏集合」etc...

 

尼崎での「オモロい仕掛け」は本当に楽しそうだ。




“プランナー”とは「人から求められること」。

 

ホーム(=尼崎)から飛び出して、アウェイの地でのまちづくり

 

アウェイにはアウェイの作法があり、立ち振る舞いも異なり、

 

地元のプレイヤーを輝かせるチームづくりに徹するそうだ。




掲題のテーマに対し、お2人が出した答えは・・・

 

「両立こそが生きる道」。

 

“プレイヤー”として現場感覚を磨いて実績を作り、

 

“プランナー”として経験を活かす。

 

関西まちづくり界(?)を担うお2人が、

 

これからも続けていくであろう活動スタイルである。

 

いやはや、参考になった。

 

若狭氏のおっしゃった、「プレイヤーはやっぱり楽しい」には、

 

心から賛同したい。




講演会のシメとして、

まちづくりはscienceではなく、art」という発言を聴いた。

 

曰く「“芸術”、というよりは“芸”。“芸”は身を助く。」

 

それは、お2人にももちろん当てはまる。

 

綱本氏の絵、若狭氏のトークと写真。

 

その表現力は「まち」へ入っていくための最高の武器だ。

 

そう言えば、若狭氏もおっしゃっていた。

 

まちづくりにデザインセンスは絶対に必要。

 

 だって、ダサい人にまちづくりを頼みたくない。」




先輩たちの至言、心に留めておこう。